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Eizo devcant la fontaine au de la Butte aux Cailles

Projet Eau de la Butte aux Cailles de Eizo SAKATA

Bouteilles de l'Eau de la Butte aux Cailles crées par Eizo SAKATA

Voici les exemples des étiquettes

Etiquette de l'Eau de la Butte aux Cailles

Etiquette de l'Eau de la Butte aux Cailles

(Ci-sussus les extrait du livre "Passivité Active" publié en 2007 par Fûdo Edition)

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(Ci-dessous en japonais)

カーユの丘の水

パリ、2003 年 6 月

パリの真下に清水があり、その井戸があるといっ たら皆さん驚かれるだろう。実際パリ市内に現在 3ケ所に井戸があり、地区の住民がペットボトル に手に水を汲みにやってくる。もちろんこれは水 道水ではなく、地下約 600 メートルの深いアルビ アン期(紀元前数万年)の地層の水脈から湧きで る貴重な自然水だ。

この3つの井戸の一つが、私の住むパリ 13 区内 のビュット・オ・カーユ(カーユの丘)地区にあ る。この界隈は19世紀より労働者の住むパリで 最も貧しい区域の一つで、開発が遅れたため、そ の一郭は今日でも忘れられたかつてのパリとい う雰囲気を残している。それが十数年程前から注 目されはじめ、若い人々がかつての職人のアトリエを受け継いだり、新しいレストランが誕生したりしている。井戸は何十年も放置たままであった が、赤いアールデコ風のレンガ建築の市営プール の前のヴェルレーヌ広場に 2000 年に再現された。 今でこそ写真のように自動蛇口を備えたガラス とメタルのデザインの非常に現代的な井戸だが、 長く紆余曲折の歴史を持つ。掘削工事が始まった のは 1866 年、オスマン卿のパリ近代化政策時代、 水道の給水源のためだったが、技術上の問題、そ れに普仏戦争、パリ・コミューンにより中断、何 と水を掘り当てたのは 37 年後。その時には水道 の給水源としての価値はもはやなく、水温が 28 度暖かいことを考慮されて公営浴場用の水とさ れ、1924 年には前述のプールも建設された。 驚くべきことに、この水はパリと言う大都市の真 下にありながら、その独特な地形により地下汚染 から守られており、市販のボトルウォーターに優 るとも劣らぬほどの清水なのであるが、実はそれ を知るパリ市民はごく少ない。この水をあたかも 商品のようにしてイメージ宣伝することで、水資 源の問題を喚起するのが私のプロジェクト。その基本は勝手な商品開発とそのラベル制作。「カー ユの丘」のカーユは、フランス語で鳥の「ウズラ」 と同じ綴り。実際の地名の由来はこの地区に畑を 持っていた大農園主の名前なのだが、ウズラをト レードマークとした。 どのラベルの説明も科 学・歴事的事実から、次第に根拠の疑わしいイメ ージアピールに発展する。当然僕のラベルを読ん だ人は信憑性に疑いを持つが、逆にアルプスの水 が環境汚染から本当に守られているか、宣伝のよ うにそれを飲めば元気になったり痩せたりする かに目くじらをたてる人はあまりない。こうして 「カーユの丘の水」は、日頃購入しているミネラ ルウォーターに対する我々の不正確な知識と盲目さを批判する。

市販のミネラルウォーターよろしく、「レモン風 味のカーユ」、「ミント風味のカーユ」、それに フランス初の「麦茶」や輸出モデルまで、サブプ ロダクトも拡大。「各種プロダクトを揃えていま す」といってもいつも同じ水。人々にラベルを見 て読んでもらい、自分の気に入ったラベルを貼っ たペットボトルで井戸まで行って水を汲んで帰ってもらう。これはペットボトルの再利用を促す エコロジー的習慣の提唱でもある。

この企画は 2003 年度の春に始め、同年6月に水 をテーマのパリ 13 区の主催によるイベントに加 えられ、ビュット・オ・カーユ市営プールの旧喫 茶用スペースを使って来場者にボトルをアピー ルする「ビュット・オ・カーユ・ウォーターバー」 という形で発表された。区長さんも気にいってく れたので、市に協力してもらって地区のカフェや レストランなども巻き込んだ企画に発展させた いと計画したのだが、実は水道会社も市の水道局 も蛇口の水道水のプロモーションは大いに関心 はあるが、カーユの水の宣伝にはまったく興味な し。だから一人で勝手に色々な機会に国際的規模 (!)で宣伝している。

写真掲載したラベルの訳

「クラシック 1863」


1832 年、パリの地下の地質調査から確信を得、パリ市議会は深井戸の掘削を決定しました。最初の井戸は 15 区のグルネル。8 年に渡る困難な工事と幾たびもの事故の末、1841 年 2 月 26日、午後 2 時に水が噴出しました。第二の井戸は、16 区のパッシー(1861 年)、それに続き 1863 年 6 月 19 日、オスマン卿はビュット・オ・カーユでの井戸の建設を承認します。13区の水の需要を満たすと同時に、産業汚染問題深刻なビエーヴル川の水量を増すことも目的でした。工事は、戦争、パリ・コミューン、工事会社と行政間のトラブルのために長期に渡り中断されます。そして 1892 年に工事再開。そしてついに1904 年、582m の深さから水を掘り当てます。水量が非常に豊富(1 日当 6 千立方メートル)であったため、 1924 年建設のプールに水が使われることになりました。
この 19 世紀に発見された、何万年もの昔のアルビアン層の水は、砂層により念入りにフィルターされた清らかで澄んだ水です。この意味で、パリ盆地の地質構造は世界でもっとも優れた貯水地を形成しています。この自然の恵みとカーユの丘の井戸の歴史をこのボトルは祝います。
自然と歴史のドリンク、「クラシック 1863」!

「28°アルテジアン」


普通の井戸では水は地下から汲み上げねばなりませんが、アルテジアン井戸は逆、水が噴き出します。
世界でもパリほどアルテジアン井戸に適した地質条件を完全に備えた土地はありません。というのも、パリは盆地の中心に位置し、その地下には、同心円状のたらい状に、水の浸透層と不浸透層が幾段にも重なっているからです。そしてその中心にパイプを通すと、地下水脈の水圧に応じて水が高く噴き上がります。
1850 年、グルネルの井戸の採掘では、水が 40m 高さまで噴出しました。
その水温は 28 度と暖かく、肌触りが良く、運動エネルギーに満ちたこの水は、その活力と雄々しさであなたの体を変貌させます。

デッサンのメッセージ : 暖かく噴き上がる水の悦び!

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